自由広場
誰もが利用できる一面芝生の広場です。
ご利用の前には注意事項が書いてある看板がありますのでお読みください。
また、大会会場として使用したり、広場の整備を行う際には利用を制限させていただきますのでご了承ください。
ふれあいの広場
本園駐車場入口の道路をはさんだ向かい側に本園が出来る以前に、旧陸軍の施設がありました。
敷地内には「水戸歩兵部隊の跡碑」や「尼港殉難者記念碑」が建てられています。
広場には遊具もあり、子どもたちの遊び場にもなっています。
児童遊園
ブランコや滑り台、腹筋ベンチなど様々な遊具がある場所です。
木漏れ日の下にベンチが設置されており、近隣住宅が近いことから地域の方の憩いの場になっています。
天気のいい日には、小さなお子さんを連れた、お母さんが談笑したり読書をしたりしている方など、
皆さん思い思いに過ごしています。
多目的広場
テニス用の壁打ちやバスケットゴールが2台設置されている広場です。
ご利用の前には注意事項が書いてある看板がありますのでお読みください。
雨天時、雨天後、グランドコンディションが悪い場合は利用を制限させていただきます。
また、多数の来場が見込まれる際には付近が臨時駐車場となりますのでご了承ください。
常陸山像
武道館の前には日本近代相撲の父、常陸山像が建てられています。
日本近代相撲の父「角聖」常陸山谷右衛門は、優れた人格と生来の学識、才能を発揮し日本角界の改革、地位向上に不動の功績を残した。
旧水戸藩士市毛高成の長男として一八七四年一月十九日、水戸宝鏡院門前(現、水戸市城東)に生まれ、旧制茨城中学(現、水戸一高)を中退後、十九歳で角界に入る。一九〇三年、第十九代横綱に推挙され「梅ヶ谷」と人気を二分し、明治期後半から大正初期にかけての大相撲黄金時代を築いた。
横綱在位十一年、八十三勝十敗十七引き分け二預かりの成績を記録。欧米各国訪問中ホワイトハウスで土俵入りを披露。国技館の優勝掲額第二号に雄姿を飾る。引退後、五代目出羽海を襲名、取締に就任、初のアメリカ巡業を成功させた。
一九二〇年、焼失した国技館を再建、今日の角界隆盛の基礎を築いた。一九二二年六月十九日、本所相生町の自宅で四十八歳の生涯を終え、生地水戸市酒門の共有墓地に静かに眠っている。
ここに「角聖」常陸山の功績を顕彰し県民各位のご協力のもとにモニュメントを建立する。
一九八九年七月二十日
水戸市制百周年記念
常陸山顕彰事業委員会 会長 佐川 一信
新いばらきタイムス社 社長 鈴木 正樹
各界、各席のご協力者一六〇名
(碑文より)